狂ったシナリオ

織田信長が権力者を一掃し、京都を平定(天下布武の真意)した後、秀吉と家康が協力して天下を治め、庶民が安心して楽しく暮らせる世の中(縄文の復活)を実現しようとしたシナリオが、秀吉の死後、権力の亡者となった“淀君(茶々)”によって、さらに危うく…

豊臣秀吉と千利休

【豊臣秀吉】 出自については記録がなく謎が多いとされている。母は「大政所 (摂政・関白職にある公卿(くぎょう)の母親に対して、天皇が 宣旨により贈与する尊称である「大北政所」の略称) 名は 仲(なか)」。「朝日姫(あさひひめ 秀吉の異父妹であり…

明智光秀と徳川家康の秘密と『本能寺の変』

【明智光秀】 筆者が見聞きした話(おとぎ話)をここでは展開していく。 「明智光秀」は賀茂神社(京都)の神職の家系に生まれ、その後、 明智家の養子となる。 「明智家」は、清和源氏(摂津源氏)の家系で、 美濃源氏「土岐(とき)氏」支流である明智氏の…

キリスト教伝来に隠された“日本とアジア植民地化計画”

戦国時代に日本に伝たいしたものとして有名なのが、『鉄砲(タネガシマ)』と『キリスト教』(フランシスコ・ザビエル)。 時代はローマ帝国が滅亡し、ヨーロッパではスペイン、ポルトガル、イギリス、フランス、オーストリアなど、西洋の列強が競うように、…

織田信長の出自と生駒屋敷

【織田信長の出自】 劔神社(つるぎじんじゃ)は、福井県丹生郡(にゅうぐん)越前町 (旧織田町)にある神社である。別名織田明神(おたみょうじん)。 素盞鳴尊(すさのおのみこと)を主祭神とし、特に織田信長は 当社の神官の子孫であるとされ、織田家の…

南朝も北朝も正統な皇統ではなかった?

戦国時代に入る前に、そもそも、戦国時代の発端(導火線)となる南北朝時代とは何だったのか? ここで、表の歴史から隠された“知られざる秘密”を解き明かす。 元号の始まりは、大化の改新の『大化』。中心的な役割をした「中臣鎌足」が藤原姓を賜り、「藤原…

南北朝時代

1333年鎌倉幕府の滅亡から室町幕府の全国統一まで約60年間の時代。 建武新政は武士階級を失望させ、1335年「足利尊氏」は京都を占拠、持明院統(じみょういんとう)の嫡子「量仁(かずひと)親王(後の光厳(こうごう)天皇」を擁立(京都の北朝)。後醍醐天…

足利氏と金閣寺

執権・北条氏が熱望した後、足利氏(足利尊氏)が朝廷(南朝)を裏切り、北朝という“傀儡(かいらい)天皇”を建てることで、足利氏が事実上、権威と権力を握ったのが『室町時代』だった。 この足利氏一族の野望が如実に現れたのが『金閣寺』だった。 とくに…

執権・北条氏の滅亡まで

北条氏が執権となってからは、内紛の連続だった。 【1205年(元久2年) 畠山重忠(はたけやましげただ)の乱】 武蔵国の有力御家人・「畠山重忠」が、武蔵掌握を図る北条時政の 策謀により、北条義時率いる大軍に攻められて滅ぼされた事件。 【1213年(建暦3…

『元寇』とは

鎌倉時代に幕を下ろすきっかけとなった、モンゴル軍による日本侵攻作戦「元寇(蒙古襲来)」。 圧倒的な兵力の質と差がありながら、2度にわたり元寇を追い返したのは「神風」と言われているが、最近の研究では「神風」ではなかったとの説が主流になっている…

茶番だった源平合戦と北条氏の正体

北条氏は、桓武平氏高望流の「平直方(たいらのなおかた)」を 始祖とし、伊豆国田方郡北条(静岡県伊豆の国市)を拠点とした 在地豪族である。 北条氏の祖となった「北条時政(ときまさ)」は、「平将門」の 系図で、関東を拠点とした「平氏本家(本流)」…

頼朝と義経が目指した『大東亜共栄圏』

源氏の祖でもある橘氏(犬養一族)は、もともと「海を渡った縄文人(海人族=あまぞく)」だった。 ① 長江文明を引き継いだ『呉』が春秋戦国時代に敗れると、 命からがら故郷である「日本」に帰還し、水田による稲作と 『呉服』を伝えたものたち ② 北イスラ…

頼朝と義経

【源頼朝】 1147年4月8日、源義朝の三男として尾張国熱田(現在の名古屋市 熱田区)の熱田神宮西側にあった神宮大宮司・藤原季範(すえ のり)の別邸(現誓願寺)にて生まれる。幼名は鬼武者、または 鬼武丸(おにたけまる)。 父である源義朝の直系は清和天…

源平合戦

源平合戦とは、武家の棟梁である源氏と平家との間で、1177年から1185年にかけて日本全国で起こった数々の戦争の総称。(1156年の保元の乱から、1192年の源頼朝の征夷大将軍への就任までの時期を指す事もある) 「治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)…

平安時代の貴族と武士の誕生

平安時代は、華やかな貴族文化が花開いた時代でもあった。 【貴族】 具体的な呼び名が登場するのは、701年に制定された「大宝律令」 からだった。五位までの官位のものたちを「貴」という言葉で 読んだことから「貴族」という概念が誕生したと考えられている…

平安京とエルサレム

【平安京の名前】 京都は、桓武天皇(737年~806年)が、780年に平城京(奈良)で即位後、 784年には長岡京(京都盆地の西部)へ遷都、のち10年後の794年には、 平安京(京都)に2度目の遷都をされて以来、明治維新に至るまで 1074年におよぶ首都だった。 京…

『臣籍降下』と『源平』の誕生

【臣籍降下】 臣籍降下(しんせきこうか)は、皇族がその身分を離れ、 姓(かばね)を与えられて臣下の籍に降りることをいう。 皇族女子が臣下に嫁すことで皇族でなくなる場合は、 「臣籍降嫁(しんせきこうか)」とも言った。 奈良時代の皇統(天皇の血筋)…

『桃太郎』と吉備王国から朝廷に仕えた『縣犬養一族』

飛鳥時代~奈良時代~平安時代にかけて、藤原氏とともに天皇を補佐し、権勢を誇った『橘(たちばな)氏』がいた。 今回は、その『橘氏』誕生の物語に触れて行く。 【桃太郎伝説にもなった“温羅(うら)退治”】 「温羅(うら)一族」は、吉備の外(日本国外)…

『皇位をめぐる最大の危機』

時代は奈良時代。710年に平城京に遷都した後、女性天皇に近づき、皇位を狙う僧侶が現れ、皇室の最大の危機が訪れる。 「聖武(しょうむ)天皇」と「光明(こうみょう)皇后(藤原氏の出自)」の間には、ついに男子が育たず、皇子がいなくなったことで、天平1…

『聖徳太子』と『イエス・キリスト』

日本史を語る上で、この方を抜きには語れない存在・・・そう、お待たせしました。『聖徳太子』の登場です! とは、言っても、ここでは、筆者の個性を「フルマックス」に発揮して斬新な切り口で切り込んでいきます! 表題にもあるように、『イエス・キリスト…

大化の改新 ②

【改新の第三段階】 翌大化2年(646年)正月には、新政権の方針を大きく4か条に まとめた「改新の詔」も発布された。 改新の詔は、ヤマト政権の土地・人民支配の体制(氏姓制度)を 廃止し、天皇を中心とする律令国家成立を目指す内容と なっている。 ※「改新…

大化の改新 ①

「大化の改新(たいかのかいしん)」は、「皇極天皇(こうぎょくてんのう)」4年(645年)6月14日の「乙巳の変(いっしのへん)」に始まる一連の国政改革。大宝元年(701年)の大宝律令完成までに行われた一連の改革を含む。 改革そのものは、天皇ではなく、…

『白村江の戦』

【背景】 ① 朝鮮半島と中国大陸の情勢 6世紀から7世紀の朝鮮半島では高句麗・百済・新羅の三国が 鼎立(ていりつ)していたが、新羅は二国に圧迫される存在で あった。 倭国は、半島南部に領有する任那(みまな)を通じて影響力を 持っていたことが『日本書…

神武天皇と徐福(渡来人)

【神武天皇の別名】 ・「神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)」 ・「神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)」 ・「神日本磐余彦天皇(神武天皇)」の諱(いみな)は、 「彦火火出見(ひこほほでみ)」。 ※神武天皇の別名「カム・ヤ…

『やまと朝廷』と『神武天皇』

【大和朝廷(ヤマト王権)】 ※ウィキペディアより引用。 ヤマト王権(ヤマトおうけん)とは、3世紀から始まる古墳時代に「王」や「大王」(おおきみ)などと呼称された、倭国の首長を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織で…

造化三神と『父と子と聖霊』           ~ 神道に隠された『イエス』の暗号

過去のブログ記事にもあるように、『4大文明』が事実に基づくものではなく、日本の歴史教育は『ねつ造』そのものであると言っても、過言ではない。 ここで、簡単におさらいしておくと、 歴史とは? 英語で「History」=「His(彼の=勝者の)」+「Story(…

卑弥呼の暗号について

筆者が追跡調査している「卑弥呼」の途中経過の報告。(途中で脱線するかも・・・) 『古事記』『日本書紀』に登場する「神宮皇后」が暗号になっていると筆者は考えている。そして、「神宮皇后」「卑弥呼」「トヨ」、「邪馬台国」「倭(やまと、わ)」は一蓮…

縄文から弥生へ

ウィキペディアによれば、縄文時代は、16,000±100年前~約2,300年前(紀元前4世紀ごろ)とされる。 また、弥生時代は、紀元前10世紀頃~紀元後3世紀中頃。 卑弥呼(邪馬台国、紀元後2世紀~3世紀)の時代は、 弥生時代に含まれていることと、 日本の正…

中国を統一した『秦』とは? (ウィキペディアより引用)

【秦】 秦(しん)は紀元前221年に中国を統一したが、紀元前206年に 滅亡した。 統一から滅亡までの期間(紀元前221年~紀元前206年)を 秦朝、秦代と呼ぶ。統一時の首都は咸陽。 紀元前247年に「政(せい)」が13歳で即位するも、実質的な 権力は商人の身か…

『失われた10支族』と『秦』

『失われた10支族』の行方(ウィキペディアより引用) 以下に挙げる4説は伝承または仮説として立てられたもの のうち、イスラエル政府によって比較的有望とされた説で あるが、必ずしも10支族だけを問題とした説ではない。 ・一部はアフガニスタンに。 …