4大文明のうそ
縄文時代に入る前に、今まで常識のように教えられた来た歴史が
正しかったのか?
改めて疑問に思っていただく必要があると思ったので、
おもな文明を改めて列挙してみました。
なお、下記はすべてウィキペディアからの引用です。
「おや?」と引っかかるところがあったら、
ご自身で確かめてみてください。
歴史とは?
英語で「History」=「His(彼の=勝者の)」+「Story(物語)」
縄文時代(16,000±100年前~約2,300年前)
日本列島における時代区分の一つであり、
世界史では中石器時代ないしは、新石器時代に
相当する時代である。
シュメール文明(紀元前8000年頃~紀元前2000年頃)
シュメール人は自らを「ウンサンギガ」(シュメール語で
「黒頭の民」の意)と呼び、その土地を「キエンギ」(シュ
メール語で「君主たちの地」の意)と呼んでいた。
メソポタミア文明(紀元前2350年ごろ~)
メソポタミア(Mesopotamia)とはギリシア語で「川の間の地」と
いう言葉。
紀元前2350年ごろ、シュメール人にとって変わって、
セム系のアッカド人が都市シュメールを征服した。
アッカド帝国はその後衰え、シュメール人の建てたウル第三王朝に
とって変わられたが、そのウル第三王朝もおとろえて、
紀元前2000年ごろ、セム系アムル人によって
バビロン第一王朝(古バビロニア王国、Babylonia)が建国された。
そして、紀元前1700年ごろのハンムラビ王(Hammurabi)のときに、
メソポタミアを統一した。ハンムラビ王は、国家の統治のため、
それまでの法律をまとめた『ハンムラビ法典』を制定して発布した。
紀元前1600年ごろ、製鉄技術を持つ“ヒッタイト人” が
メソポタミアに遠征し、バビロン第一王朝を滅ぼした。
また同時にカッシート人がイラン方面からバビロニアに侵入して
メソポタミアを支配し、カッシート王国(バビロン第三王朝)が成立した。
古代バビロニアは、いくつもの王国(ヒッタイト、カッシート、
ミタンニ、エジプト)が、割拠する状態になっていた。
エジプト文明(紀元前3000年頃~紀元前30年)
紀元前3000年頃に始まった第1王朝から紀元前30年に
プトレマイオス朝が共和制ローマによって滅ぼされるまでの時代。
太陽暦の発明。
ヒエログリフから派生したワディ・エル・ホル文字と
原シナイ文字(原カナン文字)は世界の殆どのアルファベットの
起源となったされる。
インダス文明(紀元前2600年~紀元前1800年)
有名な遺跡として、「ハラッパー」、「モヘンジョダロ」、
「ロータル」、および「ドーラビーラ」がある。
長江文明(添王国 紀元前14000年ごろ~紀元前1000年頃)
河姆渡遺跡(かぼといせき)は紀元前6000年から紀元前5000年頃のものと
推定され、大量の稲モミなどの稲作の痕跡が発見された。
稲作を行っていた事からその住居は高床式であった。
明らかに黄河文明(畑作中心)とは系統の異なるものであり、
それまでの「中国文明すなわち黄河文明」という当時の定説を
大きく覆す事になった。
弥生時代に日本へ水稲耕作をもたらした人々(弥生人)は、
長江文明が起源とする説もある。(ニワトリが先か、卵が先か)
※参考までに、日本人に知られたくない「添王国」について、
動画による説明も見つけたので紹介します。
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=rtNaycM308U
黄河文明(紀元前7000年?~紀元前5000年?)
黄河の氾濫原で農業を開始し、やがて黄河の治水や灌漑を通じて
政治権力の強化や都市の発達などを成し遂げていった。
現在は長江文明や遼河文明などさまざまな文明が中国各地で発見されて
いるため、四大文明に黄河文明のみを取り上げる手法はもはや古くなっている。
マヤ文明(紀元前2000年~A.D.250年)
メキシコの南東部、グアテマラ、ベリーズなどいわゆるマヤ地域を
中心として栄えた文明。
イスラエル王国(紀元前11世紀~紀元前8世紀)
「イスラエル」という国名は、ユダヤ民族の伝説的な始祖ヤコブが
神に与えられた名前にちなんでいる。
当初はイスラエル・ユダ連合王国、あるいはヘブライ王国とも
呼ばれる統一王国であったが、後にユダ王国 (南王国) が
分離したため、分離後の「イスラエル王国」は北イスラエル王国
あるいは北王国ともいわれる。
ローマ帝国(紀元前8世紀中ごろ~1453年ごろ)
古代ローマがイタリア半島に誕生した都市国家から、
地中海にまたがる領域国家へと発展した段階以降を表す言葉である。
従って厳密には古代ローマの体制が共和制だった頃を含んでいる。
最盛期には地中海沿岸全域に加え、ブリタンニア、ダキア、
メソポタミアなど広大な領域を版図とした。
シルクロードの西の起点であり、古代中国の文献では大秦の名で登場する。
インカ帝国(紀元前7500年ごろ~1527年ごろ)
南アメリカのペルー、ボリビア(チチカカ湖周辺)、エクアドルを中心に
ケチュア族が築いた国。文字を持たない社会そして文明であった。
首都はクスコ。世界遺産である15世紀のインカ帝国の遺跡
「マチュ・ピチュ」から、さらに千メートル程高い3,400mの標高にクスコがある。
1983年12月9日、クスコの市街地は世界遺産となった。
アンデス文明(紀元前7500年ごろ)、クスコ王国(12世紀頃–1438年)、
タワンティンスウユ(1438年–1527年)が有名。
1532年にスペインによって滅ぼされる。
※参考までに、インカ帝国と日本の関係についても、
動画による説明も見つけたので紹介します。
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=c0ZPt4LQ5ZU
太字の個所は、後にも登場するので
お楽しみに。
~ つづく ~