源平合戦

源平合戦とは、武家の棟梁である源氏平家との間で、
1177年から1185年にかけて日本全国で起こった数々の
戦争の総称。
(1156年の保元の乱から、1192年の源頼朝征夷大将軍への
就任までの時期を指す事もある)

治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)」と
呼ばれる事も。

 


  ・1156年
    保元の乱が起こる。
    「崇徳(すとく)上皇」と「後白河(ごしらかわ)天皇」の
    争いに源氏、平家が加担する。
     天皇側が勝利し、平清盛源義朝は、それぞれ恩賞を与え
    られた。


  ・1159年

    平治の乱が起こる。
    保元の乱の戦後処理に不満を抱いた藤原信頼源義朝が挙兵。
    平清盛の反撃により、藤原信頼源義朝は敗死。


  ・1160年

    源義朝の子、源頼朝が捕らえられ伊豆へ流される。


  ・1180年

    平清盛の娘が産んだ「安徳(あんとく)天皇」が即位し、
    平清盛天皇の外祖父になる。
     「以仁王(もちひとおう)」が平家討滅の令旨を発し、
    源頼朝木曽義仲が挙兵する。


  ・1181年

    平清盛が熱病によって亡くなる


  ・1183年

    「倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦い」が起こる。
    「源義仲」軍が平家軍を破り、京を制圧する。
    平家は安徳天皇を連れて都落ちをする。
    京都にいた後白河法皇木曽義仲が対立する。


  ・1184年

    宇治川の戦いが起こる。
    源義経木曽義仲を撃破する。

    一ノ谷の戦いが起こる。
    義経が断崖を逆落としして急襲し、平家軍を攻略する。


  ・1185年

    屋島の戦いで源氏が勝利する。
    弓の名手・「那須与一(なすのよいち)」が扇の的を射たことで
    知られる。

    壇ノ浦の戦いで源氏が勝利する。
    この戦いで平家は事実上滅亡し、源平合戦に終止符が打たれる。


  ・1192年

    源義朝征夷大将軍に任命される。

 

 

【あまり知られていない人物と秘話】


  平時子(たいらのときこ)』

    「平時信(たいらのときのぶ)」の娘で、平清盛の後妻(継室)。
    「二条(にじょう)天皇」の乳母となるなど、清盛の
    宮中工作の橋渡し役
     清盛の死後、平家一門を後見するが、壇ノ浦の戦いで平家が
    敗れると幼い安徳天皇を抱き入水して果てる(表向き)。


  『安徳(あんとく)天皇

    「表の歴史」では、平家が壇ノ浦で敗れた時、身投げしたことに
    なっているが、平氏の一門(後の小松家)とともに四国に流れ
    ついた。
     徳島県三好市東祖谷栗枝渡(みよししひがしいやくりしど)に、
    『安徳天皇』が逃れて隠れ住み、同地で崩御したという。
    「栗枝渡(くりしど)八幡神社には、安徳天皇を火葬した
    「安徳天皇御火葬場」があり、遺骨を御神体として祀って
    いる(『美馬郡誌』)。
     また、高知県香美市にある「高板山(こうのいたやま 旧字は
    皇居山)」は「皇の居た山」に由来すると言われ、安徳天皇御陵跡
    ある。この高板山の山道は、安徳天皇を助け、守ってきた平家の
    一門(小松に姓を変え、家紋も「浮線蝶(ふせんちょう)」に
    改めた)が、今現在も守り続けている。


  常盤御前(ときわごぜん)』

    「近衛(このえ)天皇」の中宮に仕えた女官で、源義朝の側室となり
    牛若(のちの源義経)らを産む。義朝の戦死後、子らを守るために
    平清盛の妾(めかけ)となったともいわれ、その後
    「藤原(一条)長成(ながなり)」に嫁いだとされている。


  巴御前(ともえごぜん)』

    源義仲の乳母の子で、「中原兼遠(なかはらのかねとお)」の娘。
    義仲の側室となり、1180年の義仲の挙兵に従軍。
    戦功著しい猛将だったともいわれている。


  静御前

    白拍子(しらびょうし 平安朝末期に起こった歌舞。また、それを
    舞う遊女)の「磯禅師(いそのぜんじ)」の娘で、「静御前」も
    京の「白拍子」だった。
     源義経の側室となり、平家討滅後、頼朝と不和となった義経に従い
    京を脱出する。追手に迫られ吉野山中で別れた後、囚われて鎌倉に
    送られる。頼朝から舞を命じられ、義経を恋い慕う踊りを披露した
    ことでも知られる。


  北条政子

    北条時政の娘で、伊豆配流中の頼朝に嫁し、2代将軍・頼家、
    3代将軍・実朝を産む。実朝が暗殺されると、京から4代将軍と
    なる「九条頼経(くじょうよりつね)」を招き自ら後見人となった。
     尼将軍とも呼ばれる。
    (実朝暗殺は、北条政子が黒幕という噂もある。後日のブログで
    公表予定。)

 


かくして、武士を中心とした時代が始まった。

 

         ~ つづく ~