『桃太郎』と吉備王国から朝廷に仕えた『縣犬養一族』

飛鳥時代奈良時代平安時代にかけて、藤原氏とともに天皇を補佐し、
権勢を誇った『橘(たちばな)氏』がいた。
 今回は、その『橘氏』誕生の物語に触れて行く。

 

桃太郎伝説にもなった“温羅(うら)退治”】

  「温羅(うら)一族」は、吉備の外(日本国外)から渡来して
  吉備に至り、製鉄技術を吉備地域へもたらして、「鬼ノ城」
  拠点として一帯を支配した。
   吉備の人々は都へ出向いて窮状を訴えたため、これを救うべく、
  「崇神天皇(第10代)」は、「孝霊天皇(第7代)」の子で
  四道将軍日本書紀に登場する皇族の将軍)の1人の
  吉備津彦命(きびつひこのみこと)」を派遣した。
   討伐に際し、「吉備津彦命」は現在の吉備津神社の地に本陣を
  構えた。


  「温羅(うら)一族」

    百済渡来説・加耶渡来説・新羅渡来説など複数の伝承がある。
    「鬼ノ城(きのじょう)」を拠点とした鬼。
    渡来人で空が飛べた、大男で怪力無双だった、大酒飲みだった、
    等の逸話が伝わる。

     ・阿曽媛(あそひめ)=温羅の妻

     ・王丹(おに)=温羅の弟


  吉備津彦命(きびつひこのみこと)」=「桃太郎」

    本名は「彦五十狭芹彦命(ひこいさせりびこのみこと)」。
    第7代孝霊天皇皇子。『日本書紀』では四道将軍に数えられる。

     ・稚武彦命(わかたけひこのみこと)吉備津彦命の弟

     ・犬飼武命(いぬかいたけるのみこと)、末裔に「犬養毅
       桃太郎の「犬」

     ・楽々森彦命(ささもりひこのみこと)
       「猿田彦」の末裔で、桃太郎の「猿」

     ・留玉臣命(とめたまのみこと)
       鳥飼に優れた家臣で、桃太郎の雉(キジ)

  「きびだんご」

    我が一族の言い伝え(筆者が父から聞いた話)によると、
    「きび」はイネ(陸稲)で縄文時代から自生していたらしい。
     (岡山県北部では、縄文土器からイネの化石が
     発見されている事実=物証がある)

    「きび」の稲穂は「黄金色」で、この「きび」を炊いて、
    「ぎゅっと」握ったのが「きびだんご」。当時の貴重な栄養源だった。

 

    【戦術と討伐】

      スサノオヤマタノオロチを退治するときにとった作戦に学び、
      大酒のみだった「温羅(うら)一族」に「楽々森彦命」一族が、
      宴を盛り上げる芝居(裸踊りなど)を披露し、宴を盛り上げた。
      (猿芝居の語源)
       そして、酔っ払って朦朧となったところを、背後から
      「吉備津彦命」の本体が襲いかかった。(ウラ切りの語源)
      かくして、「吉備津彦命」一行は、「温羅」の首をとり、
      「温羅(うら)」とその弟「王丹(おに)」を討伐(退治)した。

      ※白山神社
        岡山市北区首部(位置)。
        温羅が首をはねられた地という。
        「首村(こうべむら、現・首村)」の地名由来。
        境内には温羅を祀る鬼神首塚が残る。

 

吉備国から朝廷に】

  この「温羅(うら)」とその弟「王丹(おに)」退治の後、
  『犬』のように主君に忠誠を尽くす働きをした、犬養一族の中から、
  とくにヤマト王権から天皇を補佐してきた『縣犬養(あがたのいぬかい)』
  一族が朝廷に仕えるようになる。

   ※『縣(あがた)』
     大化前代、大和政権の直轄領。または国造(くにのみやつこ)の
     支配下の地方組織。

  そして、この一族から誕生した「縣犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ)」が
  女性としては異例の出世をし、684年に宿禰(すくね)姓』を賜り、さらに、
  708年11月には、即位直後の元明天皇から宿禰たちばなのすくね)」姓を
  賜った。
   その後、「敏達(びだつ)天皇皇親」である「美努王(みぬおう)」に嫁し、
  「葛城王(かずらきのみこ 後の橘諸兄)」をはじめ、
  佐為王(さいおう 後の橘佐為)、「牟漏女王(むろのおおきみ)」を生む。

   「美努王」と離別した後は、藤原不比等」の後妻となり、
  光明子(後の光明皇后聖武天皇の妃)を生む。 


  また、「藤原不比等」と「橘三千代」の系図は、現在の『今上上皇』の
  直系に当たる。
 
  かくして、藤原氏とともに政治の中枢を担う、4大氏族源平藤橘の中の
  『橘』が誕生した。

 


             ~ つづく ~