足利氏と金閣寺

執権・北条氏が熱望した後、足利氏(足利尊氏)が朝廷(南朝)を裏切り、
北朝という“傀儡(かいらい)天皇を建てることで、
足利氏が事実上、権威と権力を握ったのが『室町時代』だった。

この足利氏一族の野望が如実に現れたのが金閣寺だった。

とくに、足利尊氏の孫にあたる義満の時代は、南北朝が対立する時代であり、
あろうことか、南朝(真の皇統)を騙して、“3種の神器”(本物ではなく、
レプリカを渡すことで南朝も義満を欺いた)を奪い、義満自らが天皇になり
変るべく、その象徴として『金閣寺』が建立されたのだった。
 そして、義満が「太上天皇になり、息子に天皇の位につかせるべく、
息子「義嗣(よしつぐ)」を皇室の礼で元服させた。
義満は自分も含め、足利一族も皇族に滑り込ませようとしていた。

 

【3層構造(3階建て)の金閣寺

  第1層 法水院(ほうすいいん)

    第1層は、寝殿造(しんでんづくり)であり、
    法水院(ほうすいいん)と呼ばれている。
     中央に宝冠釈迦如来像(ほうかんしゃかにょらいぞう)、
    その左側に足利義満像が安置されている。

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  第2層 潮音洞(ちょうおんどう)

    第2層は、武家造り」または「書院造り」であり、
    潮音洞(ちょうおんどう)と呼ばれている。
     内部は、岩屋観音像と四天王像が安置されている。

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  第3層 究竟頂(くっきょうちょう)

    第3層は、禅宗(ぜんしゅう)様式であり、
    究竟頂(くっきょうちょう)と呼ばれている。
     禅宗様式とは、ただ座禅を組んで静かに観念を凝らす場所とした
    建築様式で、中国の宋で用いられていた様式が日本に導入されたもの。

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  天皇家を統一(南北朝統一)し、圧倒的な権力を手に入れた足利義満は、
  将軍と天皇の、日本の両権力の頂点に立つことを目指し、その象徴が、
  この金閣寺の建築様式に表現されている。

  当時、寝殿造りは朝廷が、書院造りは武家が好んで住んでいた。
  当時の義満はというと、禅宗の僧として出家していた。

  金閣寺の第1層は寝殿造り。第2層は書院造り。そして第3層は禅宗様式
  つまり義満が、朝廷と武家の上に位置することを示していた
   しかも、第2層、第3層には金箔が貼られているが、第1層には張られて
  いない。これは義満が朝廷の繁栄を望まなかったのではないかと推測されて
  いる(所詮、北朝は傀儡天皇である故、“お飾り=足利氏の奴隷”として、
  最低限の生活を維持させることで、事実上、皇室をも支配した)。
   屋根の上には黄金に輝く鳳凰が飾られているが、鳳凰は徳のある
  天子(天皇)が出現した時に姿を現すとされる想像上の鳥なので、
  その鳳凰金閣の頂点に置き、新たな天皇に相応しいのは自分(義満)で
  あると示している。


このように金閣寺に象徴されるように、足利尊氏~義満は、
正当な皇統である「南朝を京都(天下)から追放」して、
足利一族の言いなりになる“傀儡の北朝”を皇位につけることで、
権威と権力の両方を掌握して、この日本を独裁支配することになった。

次回は、戦国時代にもつながっていく、『南北朝の争い』について
深掘りしていく。

 

       ~ つづく ~